女として埋没して生きる私が、男であろうともがいた子供時代

こんにちは。

男として生活したのが18年。女として生活して19年目。そういえば、女として生活しだして人生の半分を超えた今年。あまり実感というものはありませんが、今はしっかり地に足付けて生きています。

これから一日一日過ぎてくごとに、女としての人生の時間の方が長くなっていきます。今の自分にとっては、そうして過ごしてきた時間や現在進行形で過ごしているこの瞬間が自然なことで、ごく当たり前のことでもあるかのように思います。

男とか女とか、そこまで意識せずに生きられる。穏やかな生活?とでもいうのでしょうか、ようやくそんな状態になれたのかなと思います。慣れるとは、こういうことを言うのだと思います。

18歳の時の自分からしたら、想像もできなかった将来像だと思います。そもそも、私にとっての初めの18年間は、長く暗い洞窟の中を出口はどこかと探し彷徨っているような時間でした。どこに向かって走っていていいのか、わからないなりにがむしゃらに走っていた18年でした。

今日は、自分自身の過去について書いてみたいと思います。

目次

  • 子ども時代
  • 私の初恋
  • 中学年から始まる苦悩の日々
  • 男らしく強くなければ生きていけない
  • 安定して蓋が外れた
  • 迷走した高校時代
  • きっかけ
  • まとめ
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子ども時代

小学校の時の私は、ジャッキーチェンにあこがれるカンフー少年でした。憧れていただけで、カンフーをしていたわけではありません。

勉強やスポーツが、ずば抜けてできるわけでもできないわけでもない。どこにでもいる普通の男の子という感じで、自分では意識したことはなかったのですが、笑った顔がクシャッとなるのがチャームポイントだったと母親から聞かされています。

なぜか、アイドルが大好きで、誰の歌かはよく覚えていませんが、マイクのおもちゃを握って振り付きで歌って踊っていたとも聞かされました。

保育園の頃は、なぜか男の子に人気があり、覚えているだけで2人の男の子から独占の的にされていました。

よく2人のうちの1人と私が、急にいなくなっていて、先生たちが探し回って、しばらくしてからドーム型の滑り台の中で二人きりで手をつないでいたということがありました。

それから、小学校の低学年までは、私にとって”それ”が普通のことと思っていました。

男の子よりも女の子のポジションでいたいというのは大いにありました。

特に性差がはっきりしないこの時期だったのと、低学年までは男の子になぜかモテたこともあり、あまり悩んだり苦しむことなく、身なりこそ普通の男の子でしたけど、それなりに楽しくやっていたのだと思います。

私の初恋

そんな私の初恋は、小学校低学年の時でした。相手は、私の幼馴染の男の子でした。小学校入学前から、ずっと一緒に遊んでいました。

皆と一緒に遊びたいとかではなく、彼と一緒に遊びたい。彼のそばに居たいという気持ちになっていったのを覚えています。

他の子には抱かなかった特別な感情がありました。

しかし、中学年になり彼とはクラスが分かれ、初めのうちは休み時間の度に彼のクラスに行ってたのですが、彼から「なんで、そんな休み時間の度に来るん?なんか、気持ち悪いし、そういうのやめて。」と拒絶されてしまい、私の初恋は終わりました。

中学年から始まる苦悩の日々

中学年になり、大きなクラス替えがありました。それまで、別のクラスで関わることのなかった子たちも多く、初めこそお互いに戸惑いあいつつも、不思議なものですぐに仲良くなっていきました。

そんな中に、1人の男の子が女の子とばかり遊んで、男の子とは遊ばないというので、クラスの男子から“オカマ”呼ばわりをされ、さらには集団で無視したり悪口を言ったりという事態に発展してしまいました。

まあ、私も男子でしたのでその子とはあまり話すこともなかったのですが、この出来事が私にとって男女の違いというものを意識づけられたきっかけとなりました。

男子のポジションにいないと、自分もあの子のようになってしまう。

高学年に上がり、一昔前の男子ですから、誰がけんかで一番強いみたいな話が出てくるわけです。それでもって、クラスの中で大きい顔をしているガキ大将的な子に、無理やり校庭の砂場に連れていかれて、取り巻きのうちの一人と殴り合いをさせられまして、1発ではないものの、試合開始すぐのKO負けをしました。

その翌日から、「あいつは弱い。あいつなら、俺でも勝てる。」という情報が流れたんでしょうか、毎日毎日校庭の砂場に連れていかれては、入れ代わり立ち代わりいろんな相手にぼこぼこに殴られました。

月曜日から金曜日までで、殴られない日なんかなく、顔は腫れて、目の周りなんかは青を通り越して黄色のあざができてしまっていました。

さらにエスカレートしました。

「お前は弱すぎるから、俺たちが鍛えなおしてやる。」と、ガキ大将的な子に誘われて、夜河川敷でジョギングをすることになりました。

気にかけてくれているんだと一瞬喜んだ自分がバカでした。走ったのは初めの数回だけ。あとは“複数対私”での殴り合いです。殴り合いになんかなりません。いわゆるリンチです。

「明日、スパイクで思いっきり蹴ったるわ。穴あくやろな。」大げさかもしれませんが、当時子どもだった私は命の危機を感じました。

もう死のう。死んだほうが楽だ。

殴られながら、わざと河川敷の柵のない所から真っ暗闇の中に落ちてみたり、台所の包丁で手(当時手首を切るというのを知りませんでした)を切ってみたり、自分の血がキッチンの流しに落ちて水と混じっていくのを見て、この赤い血さえなければ、自分みたいな弱いやつは消えてなくなればいい、、、

毎日顔中体中あざだらけで帰ってくる息子を心配しない親ではなかったので、親が動きました。親としては、子どもを助けたい一心だったのだろうと思います。

しかし、またそれが暴力をエスカレートさせてしまうことになりました。それからも、夜のジョギングこそ無くなったものの、場所を変えたリンチは続きました。

中学校に上がり、ほかの小学校と合流もあったり、新しいクラスでバラバラになったりと、環境が大きく変わったこともあり、同じクラスに残った子以外の子からの暴力はなくなりました。

それでも、“プロレスごっこ”“空手ごっこ”と称して、公園に呼ばれ、殴られたり技をかけられたりする日々は続きました。

この頃の私は、男だとか女だとかそんな事よりも、毎日の暴力に如何に耐えるか。早く消えてなくなりたいということばかり考えていました。

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男らしく強くなければ生きていけない

そんな状況を大きく変えたのが、バスケットボールでした。うちの学校は、原則帰宅部禁止だったので、たまたま、同じクラスの子に声をかけられて、軽い気持ちで入ったのがバスケットボール部でした。

県大会でも上位に入るバスケ部だったので、練習はかなり厳しいものでした。この時から腹筋背筋腕立てが100回に走り込みに学校まわり5週。走り切って思わず吐いてしまうこともよくありました。

素質はなかったと思います。当時は、そんなに強くなかった隣町の中学校のスタメンチーム相手に私を含む補欠チームが挑んで、100点差をつけられたくらいでしたから。今でもですが、基本的に運動は苦手な方です。

ただ、バスケをやればやるほど筋肉はつき、力も出るようになるわけで、いつの間にか公園に呼ばれて殴られることはなくなっていました。

よく体つきなんかで男らしくなっていくのが辛いとか、制服や髪型がと聞いたり目にしたりするのですが、私の場合は少し事情が違いました。

制服は、特別な日を除いて、男女同じでジャージでしたので、特に何も思いませんでしたが、自分を守るためには、髪は短く男らしく、もっと筋肉をつけて、強くなければならないと思っていました。

自分の性について悩むよりも、今日明日をどう生き抜くかという低い段階にいたんだと思います。逆にその苦しみが、自分の性に対する苦しみに蓋をしていたのだとも思います。

男らしく強くあらなければ、生き抜いてはいけない。

当時の私がよく思っていたことです。

安定して蓋が外れた

全体的にがっちりとした筋肉質かつシックスパックのお腹に成長し、なかなかの好青年に仕上がりつつあった中学生生活の終盤。

相変わらず練習は厳しかったものの、誰からも殴られることもなく、平穏な日々を過ごしていました。

そんなある日、たまたまトイレの鏡に映った自分の顔が父親に移りました。

その時の心臓の高鳴りは、今でも忘れません。

よくわからないけど、嫌だ。こんなの自分じゃない。

一応言っておきます。私は父親を憎んでいたり、嫌っていたわけではありません。

ここに来て初めて、男として成長しきた自分の顔や身体に直面し、ずっと被せていた蓋が外れてしまいました。

このまま男になっていくという、形なき何者かへの恐怖心の芽生えでした。

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迷走した高校時代

今でこそ、手術やホルモンのおかげで顔つきも体つきも変わり、時間はかかりましたが、筋肉質な身体は、丸みを帯びた女性的なものに変わりましたし、顔もどちらかと言えば母親に似ているとよく言われるようになりました。

しかし、当時の私の顔はどんどん父親のようになっていく。それは私にはどうすることもできませんでした。

男として仕上がっていく顔や体にモヤモヤしつつ、高校に上がってすぐの頃。クラスの男子の一人がゲイであるという噂が流れました。

その子は自分は違うと否定していたのですが、ある日クラスのヤンチャ系男子数人がその子を取り囲み、そのうちの一人が力いっぱいの勢いで、その子のお尻めがけて浣腸をしたのです。

お尻を抑えて悶絶するその子に、「お前、こうされるん好きなんやろ。またやったるわ。」と言って、みんなで指さして笑っている光景を見て、小学校の時の“オカマ”と無視された子のことがふと頭によぎりました。

やはり男らしくしていなければ、明日の我が身だ。

そして、さらに自分の性に関するモヤモヤに蓋をすることにしました。

絶対に知られてはいけない。絶対に悟られてはいけない。

このモヤモヤを消さなければ、自分に明日はないと、男らしくあるためにいろいろ行動を起こしました。

とにかく男らしく。悟られてはいけない。

バスケ部時代の筋トレメニューをこなしたり、担任に口悪く歯向かったり、ちょっとヤンチャ系のクラスメートとつるんで、生徒指導に呼ばれたり、当時こんな私に告白してきてくれた女子と付き合ってみては、うまくいくわけもなく、すぐに別れたりなんて事をしていました。

でも、男友達に何気ないやさしさをかけられたりしてドキッとしたり、自分が女でこういう男子の彼女だったらと妄想を膨らませてドキドキしたり、だんだん自分でも蓋を抑えられなくなってきていました。

でも、男らしい男でいなければ!!と、なんだか自分でもよくわからないループにはまり込んでいました。

きっかけ

相変わらず、自分自身どうしたいのかよくわからない日々を送っていましたが、なんとか周りには何も悟られないように、うまく取り繕っていました。

うちに帰ってたまたまつけたテレビでやっていたニューハーフの特番が、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。

男なのに女の格好をしている。格好だけじゃない顔も体も女みたいだ。

その特番で、ニューハーフとして生きる将来の先輩方の日々の努力や仕事風景やプライベートの過ごし方などを知ることができ、こんな生き方もできるんだと知りました。

蓋をしたモヤモヤが晴れていくのが分かりました。無理に男らしく強くしなくてもいい。ニューハーフとして顔も体も女で生きている人もいる。

自分がずっと抱えてきたモヤモヤの答えがようやく見つかり、高校卒業してしばらくしてから、市内にある老舗のニューハーフのショーパブで働き始めることになり、自分にとってこれまでの18年とは違う、新しい人生の1年目をスタートすることができました。

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まとめ

当事者にも色々な人がいて、成人前の時期を悩み過ごして来た人と、生まれ持った性別で生きようともがいて来た人がいます。

どちらが正しいとか間違えているとかはなくて、その時その人を取り巻いている環境や生まれ持った価値観によって変わってくるものだと思います。

周りがとか普通とかそんなものよりも、自分の気持ちに素直に生きられたのなら、私自身の18年はもっとスムーズだったろうし、良いものだったのかなと思います。

ただ手段や情報やきっかけがなかった為に、自分自身の気持ちに蓋をしたりしなければならなかったのかなと思います。

今は、情報は自分でいくらでも探せる時代です。

私みたいな、子供の時自分の性別にもがいて散々だったけど、今は女として元気にやってるよ♪という1つのモデルとして、誰かのきっかけになれたらと思います。

そしてもう1つ。

子どもは時に素直で時に残酷です。

性教育にしても、人権問題にしても、セクシャルマイノリティのことにしても、蓋をせず学べることができたなら、誤った知識で誤った行動に出ることは少なくなると思います。

無知ほど怖いものはありません。

ある程度考えが固まった大人になってからでは、誤った知識や行動を正すのも難しいと思います。

もし、学校でそんな事を教われたなら、相談できる人がいたならば、もっと早くに手を打っておけばと、どうしても考えてしまいます。

どうせなら、変な気を使わず眠った私を叩き起こして欲しかったです。

1人でも多くの人が、自分の人生を切り開き、幸せを掴めることを祈って。まとめとさせていただきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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男女の”らしさ”について。rizfarm.com/2019/10/14/トランスジェンダーとらしさについて。/

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