埋没してる子らは自分から声を上げられないと、性同一性障害の札を発案され動画を上げられた山崎あおいさんが動画のなかで仰ってた時に、なんか言葉にはできないモヤモヤを感じたのを覚えています。
世間からしたら、声を上げて目立つ人やニュースになったりした所ばかりに世間の目はいき、それが世間の当事者に対する認識になります。
トランスジェンダーとはこんな人なんだという風になります。
世間は当事者のことなんてそんなに知らないし、関わりがなければ、自ら歩み寄ってちゃんと理解しようとは思わないでしょうし、そんな余裕なんかありませんでしょうから。
埋没して生きる人のだいたいは、トランスではなく女として生きたいわけです。
だから、トランスだという事を、そんな簡単には他人に明かすようなことなんてしません。それは、女として送っている自分の生活が、平穏な時間が、全て崩れてしまうリスクがあるからです。
だから、あまり表だって自分の状態や生活を晒す人なんて、ほとんどいません。
でも、山崎あおいさんの動画での、埋没は声をあげられないという言葉を聞いた時に、自分の知らないところで、現実女として生きる人たちとはかけ離れたイメージを、世間がどんどん膨らませて行ってしまうようなことになれば、これほど怖いものはないなと感じました。
彼女の発言や主張を否定してるわけではありません。彼女は、声を上げられない分、かわりに発信するとおっしゃってくれてるわけですから。きっかけをくれたという意味で、書かせていただきました。
だけど、声をあげられないというか、あげたくない気持ちもわからないわけでもありません。
一応、私も埋没してる人間です。平穏に平凡に暮らしたいし、自分の生活で手一杯だし、正直な気持ちはそうです。
だけど、何かニュースでネガティブなイメージが発信されれば、どれだけ女で生きてても、どんな生き方をしていたとしても、みんな一緒くたにされて思われてしまうのも、なんか悲しいなと思います。
トランスジェンダーの中で、埋没する側の自分とは違う生き方をする人に対する強い否定や厳しい発言というのは、トランスジェンダーとして声のあげられる人の主張やメディアやニュースなどで流れる内容が作り上げるトランスジェンダーのイメージに対する一種の牽制ではないだろうかと思います。
自分はそうではないと。
あくまで私が思った事で、そうでない別の要因があるのかもしれませんが。
彼女が、埋没は非埋没を叩く存在で酷い奴らだと、彼女自身が壇上に立つ講習会で、伝えるとは、まず思っていませんが、万が一にでも、そのように伝える人がいたとすれば、埋没する側は、それに対する反論を挙げる声もなく、ただ黙ってイメージだけを悪くしてしまうのを見ているしかないと思うとやるせない思いになりました。
だけども、どうしても表だって声を上げる人やメディアやニュースなど非当事者からすると、簡単に入ってくる情報の方がイメージしやすく、なかなか見えてこないのかなと思います。
埋没する人が埋没する人で自らをSNS上で明かす人に対して、よく思わない風潮もあります。
ですが、それでも自らの生活などを明かす人もいます。
これからの人の将来の不安を解消できるよう、将来をイメージしやすくできるように、一つのモデルになろうなど、理由は様々だと思います。
私は彼女たちの事を詳しくは知りません。なぜ、これからの人のために頑張るのかなど、理由なんてわかりません。自分ではないから。
だけども、一つ考えられるのは、彼女たちにも、パスできない時代があったわけで、ネット上で情報を与えてくれる一部の人を真似たり、参考にしたりして今があるのだと思います。
ネットを介して間接的に助けられたという気持ちが、かつて自分がそうだったように、今道半ばで揺れながらでも前に進もうとする人の手助けになれたらと思い一つのモデルになろうと発信しているのではないでしょうか。
そのような彼女たちの存在は、私は本当に素晴らしいと思うし尊敬します。
決して軽い気持ちでなんか、予測できないリスクを背負って、自らの生活を明かす事なんて、なかなかできるものじゃありませんから。
私は、少し前に自ら明かしてきた記事を、確認できる限り削除しました。
ですが、私は上記で述べたように、今道半ばの人の一つのモデルとして、何人もいるうちの多数にはゴミのような情報であったとしても、そのうち1人だけにでも伝えられたらと思ってやってきた事です。
軽い気持ちや遊び感覚で、やってきた事ではありません。
ただ、自分自身にリスクがあるのも事実、埋没してるのに、何考えてるんだという声があるのも事実、一度立ち止って考えようと思ったからです。
考えた結果、やはり自分も助けられたように、人道半ばの人に、一つのモデルとして、自分のリアルを伝えられたらということと、”埋没は声を上げられない”現状や認識は、なんかやるせないし、埋没として生きるリアルを、可能な限り当事者と非当事者に文字などで投げかけられたらと思いました。
私のリアルが、第3者の勝手なイメージで、思ってもない方向に作り上げられるのは、嫌ですから。