男女の”らしさ”について。

“らしさ”

そのものの特徴がよくでていることを表すといいます。

“自分らしさ”を大切にする。

“自分らしさ”って一体なんなのか?

私は、それについてぼんやりとではあるけれど、”これ”が自分らしさなのかもしれないなと思うようになれたのは、極々最近の事です。

私はずっと、自らが演じる役割や周りから期待される振る舞いの積み重ねから”自分らしさ”は出来上がるものだと思って生きてきました。

そんな役割や振る舞いに大きく関わってくるものの1つに、”男らしさ””女らしさ”があると思います。

私は、その”らしさ”に、これまで苦しめられてきました。

“らしさ”についての捉え方は、本当にそれぞれです。

“男らしさ”とか”女らしさ”を、成長する過程において必要だと考える人もいますし、”らしさ”自体ない方がいいと考える人もいます。

私は、この男女に対する”らしさ”について、必要ないとは思いません。

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なぜ必要ないと思わないのだろうか。

今日は男女の”らしさ”について書いてみたいと思います。

昔を振り返って、私が男女に関する”らしさ”というものに苦しめられて来たというのは、”らしさ”そのものにというわけではなく、私自身が成長する過程で、”らしさ”というものを選択していなかったからだということに気づいたからです。

以前、海外の動画で、男の子が欲しがるようなおもちゃを欲しがった女の子の母親が、これは男の子の遊ぶものだからと、違うものにしなさいと諭しているのに対して、

「女の子でも別にそのおもちゃで遊ぶ子はいるわよ。」

「うちの子だって、女の子でも恐竜のおもちゃで遊ぶわよ。」

みたいな事を他の買い物に来ていた母親たちが、自分の子を諭していた母親に話しかけました。

すると、自分の子を諭していた母親が、

「でも、、、心配だわ。」

と頭を抱えるというもの。

結構前に見たので、うる覚えなのですが、大雑把に、こういった内容のものでした。

これを見たときに、男女の”らしさ”に対して、我が子を思うあまり、周りの大人が子どもたちがちゃんと成長する事を思うあまり、大人たちの価値観でもって、生まれ持った性別という役割を植え付けているのかなと感じました。

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私は専門学校1年次の時は、保育科に籍を置いていました。

一応担任には、自分の素性を予めカミングアウトをしておきました。教師と学生以上も以下もない関係なので、すんなり「分かりました。打ち明けてくれてありがとう。何か困った事があれば相談してね。」と受け入れてくれましたのですが、1つだけ言われた事がありました。

それは、3年次にある実習に関して、実習先にはこの事は伏せておいた方が自分のためにもいいという事でした。

保育の現場では、子どもが私みたいな生き方をする人と接すると、そんな生き方もあると気づかせてしまうかもしれず、自分の性別に関して認識がはっきり固まっていない子どもを惑わせてはならないので、実習の受け入れをしてもらいにくくなるとの事でした。

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そんなものなのでしょうか。それを聞いて、モチベーションが保てなくなり、保育科を辞めて、福祉科に移ることにしました。

大人たちの心配や価値観が、当たり前のように生まれ持つ性別の”らしさ”を着せようとするのだと、それ以外の選択肢はないのだと、それが当たり前なのだという世界を作り上げているのだと、この経験からも感じました。

じゃあ、当たり前のように生まれ持つ性別の”らしさ”を着せなければ良いのでは?

そんな”らしさ”自体を無くしてしまえばいいではないか?

それもいいのかもしれません。皆ユニな感じで統一すれば良いのかもしれません。

日本でも、スカートの制服とネクタイの着用を廃止して男女共にパンツスタイルの制服に統一する動きが、一部の企業であるらしいですし、それで気持ちが楽になる人もいて、良いことだと思います。

でも、私個人としては、それを望んでいるわけではないかなと思いました。

生まれ持つ性別に対してあやふやな子どものうちに、自らの性別を選ぶなんてのは、流石に無茶だと思います。

ただ、動画に出ていた女の子のように、遊び道具であっても、それ以外にも、好きな色とか好きな遊びなんかも、自分でこっちがいいと発信できるのであれば、それを選ばせてあげる事の方が、大人が先回りして、生まれ持つ性別の”らしさ”を与えるよりも、そのどちらも同じに統一するよりも、必要なんじゃないかと思いました。

皆同じとは思いませんけど、少なくともトランス当事者の私には、自分で気づき発信できる範囲から選択できた方が、良かったかなと思います。

別に生まれ持つ性別とは逆の性別が好むような遊びや色が好きだからといって、必ずしも大人たちが心配する様な事になるとは限らないだろうし、むしろ制限したりする事で、子どもの心にはなぜ制限されないといけないのだと不信感や嫌な気持ちが残ってしまうと思います。

トランスジェンダー当事者の私の個人としての意見であり、皆それぞれに考えはあると思います。

「だから、こうだ!」

と押し付ける気もありません。

ただ、こんな風に考える当事者がいるんだという事を知ってもらえたらと思い書かせていただきました。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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投稿者: ritan279

Lisa Kawakami 旅を愛する元ニューハーフ。 関西を拠点に、夫婦で移動販売業を営みつつ、トランスジェンダー当事者の方向けにボイストレーニングやピアサポート的な活動をしています。 □過去の経歴 高卒後ニューハーフダンサーデビュー▶︎氏名性別変更▶︎女性として埋没生活▶︎語学留学▶︎タイで就職▶︎福祉関係に入職▶︎結婚▶︎鬱で休職▶︎飲食店を営む▶︎精神保健福祉士取得▶︎ボイストレーニング教室を始める▶︎移動販売業に転向▶︎今に至る □ピアサポート的な活動とは mtf向けボイスレッスン 情報発信 交流会etc □移動販売業とは 〜準備中〜

男女の”らしさ”について。」に12件のコメントがあります

  1. 私も性別での″らしさ″は場合によって必要なのだと思ってます。しいて言うなら物差しの様な感覚でしょうか。
    ただしその物差しは個々に違っている場合多いので、常にその違いき気付くことが出来るようになるのが必要なのでは無いでしょうか。
    その違いに気が付き、常に選択していくことで″個性″又は″自分らしさ″に繋がるのだと思っています。

    いいね: 1人

    1. はるさん。コメントありがとうございます。そうですよね。遙さんの言うように、人それぞれにらしさについての捉え方があるだろうし、それこそみんな同じに統一した対応や接し方では、苦しむ人が出てくると思います。性別でのらしさを自分の中でしっくり落とし込んでから、私も自分らしさについて考えられるようになりましたから。成長の過程で、性別らしからねものであっても、好きなものは好きと言える世の中に、少しでも近づけばいいなって思います。

      いいね

    1. dalichokoさん、コメントありがとうございます。固定概念や常識といわれる何かが、大人を先回りさせてしまうのかなと思います。見た目や性別で、人の価値観が無理やり狭められたり縛られたりするのは、悲し過ぎます。女の子が恐竜のおもちゃで遊びたいなら遊んでもいいと思うし、男の子がお人形で遊んでもいいと思います。本人がしたいんだからいいじゃないで済む世の中になったらいいなと思います。読んでいただき、ありがとうございます。

      いいね

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